洗練されたイメージのゴルフメーカー・ヤマハと、契約プロ達

最終更新日:2018/10/11

ヤマハゴルフは国内のゴルフクラブメーカーとしては後発ですが、参入当初から洗練されたイメージを持つメーカーです。

ヤマハゴルフが発売した世界初のカーボンコンポジットヘッドのドライバーは、その美しさと性能の高さで当時は大きな話題になりました。

今回は、そんなゴルフ界に新鮮な風を吹き込んだヤマハゴルフと、ヤマハのクラブを使用するプロゴルファー達を紹介します。

ゴルフ界に新風を吹き込んだお洒落なヤマハゴルフ

ヤマハゴルフは、元々プロ・上級者向けのクラブで知られるメーカーではありませんでした。

メーカーにしてみればプロゴルファーは知名度を上げるための広告塔であり、プロが使用するクラブは重要な商品となるのですが、ヤマハはアマチュアにも使いやすいクラブを生産することでゴルフ業界に参入したのです。

それでは現在ヤマハのゴルフクラブを使用するプロがいないのかというとそんな事はなく、男子では藤田寛之や谷口徹、女子は大山志保や有村智恵など多くの有名プロがヤマハのゴルフクラブを使用してツアーに参戦しています。

会社のロゴマークが3つの音叉が交差した図柄であることから分かるように、ヤマハは元々ピアノなどの楽器を製造する会社でした。

本業の楽器製造だけではなく、オーディオ機器やバイクなどでも知られる大企業なのですが、ゴルフの知名度では今ひとつといったところでしょうか。

しかし楽器から連想されるお洒落で洗練されたイメージはゴルフ界に参入した当時から新鮮で、品数は少ないもののアマチュアゴルファーにも使いやすいクラブで一定の人気を保っていました。

現在は主力ブランドの「inpres(インプレス)」と、プロや上級者のニーズにも対応する「RMX(リミックス)」シリーズをラインナップに加え、より幅広いゴルファーをターゲットにしています。

世界初のカーボンヘッドのゴルフクラブをヤマハが開発

ヤマハがゴルフクラブの製造に参入するきっかけになったのは、やはりピアノからだそうです。

ピアノを製造するための木工技術がまったく畑違いのアーチェリーの弓を製作するための木工技術に生かされ、アーチェリーを製造する過程から生まれたFRP(繊維強化プラスチップ)加工のノウハウがスキー板やテニスラケットの製造に役立ちました。

こうしてスポーツ用品の分野で規模を拡大していったヤマハは、1982年にFRPの加工技術を応用して世界初のカーボンコンポジットヘッドのゴルフクラブの製造に成功しました。

当時のドライバーといえばパーシモンを素材とした本来の意味のウッドが主流でしたから、カーボンを使用したドライバーの登場は画期的なことだったのです。

綺麗な光沢を放つカーボンヘッドのクラブはデザイン的にも優れていて、ヤマハゴルフの洗練されたお洒落なイメージはこの時すでに出来上がっていたと言えるでしょう。

この翌年にはアイアンを発売してヤマハは本格的にゴルフに参入することになりますが、開発を担当した技術者たちは、ヤマハのゴルフクラブがプロにも使用されるようになることが夢だったのかもしれませんね。

プロは難しいクラブを使っている?

さて、プロや上級者は難しいクラブを使用していると考えがちですが、一概にそうとは言えないのです。

確かにプロが試合で使うようなクラブを、ゴルフを始めたばかりのアマチュアゴルファーが使いこなせるかというと、これはちょっと難しいでしょうね。

よっぽど体力とゴルフのセンスに恵まれているとしても、ロフト角が立っている上に重くて硬いシャフトの付いたドライバーを思い切り振り回したところで、仮にボールに当たったとしても低いスライスになってしまうでしょう。

ツアーを戦うプロやアマチュア競技に出場するような上級者にとっては、自分の狙ったところに思い描いた球筋でボールを運ぶことが重要で、そのために自分の技術や体力に合ったクラブを使用しているのです。

7番ウッドなどのユーティリティクラブを使用するプロがいることからも分かるように、『難しいクラブを使う人=ゴルフが上手い人』とは限らないのです。

一般ゴルファーのほとんどはアベレージゴルファーですが、後発のメーカーとしてより多くの人にゴルフを楽しんでもらいたいという狙いもあって、あえてプロ・上級者向きではないクラブでゴルフ業界に参入したのがヤマハゴルフなのです。

ヤマハゴルフのイメージリーダー/藤田寛之

福岡県出身のプロゴルファー藤田寛之は、92年にプロ入りして97年のサントリーオープンで初優勝を飾って以来、これまでツアー通算18勝を挙げているトッププロのひとりです。

彼は身長169センチとあまり体格に恵まれないこともあり、プロとしてはそんなに飛距離が出る方ではありません。

しかし極端に言えば飛ばないけれど曲がらないという彼のゴルフは、アマチュアゴルファーにとって大いに参考になるのです。

しかもプロにありがちな派手なガッツポーズを取ったりすることもない、真面目で誠実な人柄はゴルフファンに愛され、着実に成績を上げてツアーで活躍するにつれて当時使用していたヤマハのインプレスと共に知名度を上げていきました。

ヤマハゴルフの主力となるクラブ「インプレス」は、ミズノプロやダンロップのスリクソンのようなプロ・上級者向けにターゲットを絞ったものではありません。

ドライバーで言えばロフト角やシャフトのフレックスの選び方次第で、飛距離に悩むアベレージゴルファーからハードヒッターまで幅広く対応しているのです。

藤田寛之がヤマハのクラブを使用したことで、ヤマハゴルフのイメージアップに大きく貢献したと言えるでしょう。

玄人好みのプロ、谷口徹もヤマハゴルフと契約

奈良県出身の谷口徹は68年生まれですから、69年生まれの藤田寛之とほぼ同年代で、プロ入りも同じく92年です。

日本オープンや日本プロなど国内メジャー5勝を含む通算20勝を誇るベテランで、藤田と並ぶヤマハゴルフの看板プロと言ってよいでしょう。

派手さはありませんが、真面目でおとなしそうな藤田と比べると感情を表に出すところもあり、勝負師のイメージもあるプロゴルファーです。

トレードマークはサングラスで、素顔よりもサングラスをかけているイメージのほうが強いかもしれませんね。

20年を超えるキャリアの中でスランプも経験しますが、2018年の日本プロ選手権では50歳で優勝し、最年長優勝記録を更新して健在ぶりを見せてくれました。

長くツアーで戦い、なおかつメジャー競技で5勝というのはそう簡単なことではありません。

昔の青木功やジャンボ三兄弟、中嶋常幸やPGAツアーでも活躍した丸山茂樹らのような華はなくとも、谷口徹は玄人好みのプロとしてヤマハゴルフに「強さ」というイメージを加えています。

プロが作るヤマハゴルフのイメージ

ゴルフに限らず、スポンサー契約はプロスポーツ選手にとって重要なことは言うまでもありません。

スポンサーが付くことによって初めてプロとして認められたということなのかもしれませんね。

スポンサーにとってもプロとの契約は自社のイメージを大きく世間にアピールすることになるという訳です。

ヤマハゴルフは、2017年に大山志保・有村智恵・今平周吾らと新たに契約を結びました。

大山志保はLPGAツアーで18勝を誇るベテランで、2006年には賞金女王の座も獲得しています。

有村智恵は東北高校ゴルフ部で宮里藍の2年後輩にあたります。

アマチュアで活躍し、2006年のプロ入り後もコンスタントに勝ち星を重ね、87年生まれですが既にツアー14勝を挙げています。

また、今平は高校時代に日本ジュニアゴルフ選手権で今をときめく松山英樹を破って優勝し、19歳でプロ入りした今後を期待される若手の有望株です。

藤田や谷口らと共に、新たに契約を結んだ彼らの活躍が今後のヤマハゴルフのイメージを左右することになる訳ですから、ウィン・ウィンの関係を築くためにも是非結果を残してほしいものですね。

通好みが応援するヤマハゴルフとヤマハの契約プロ

大手のメーカーや有名な人気プロゴルファーよりも、あえて頑張っている2番手や3番手を応援する。

ヤマハゴルフや、ヤマハの契約プロを応援するゴルフファンは、たぶんそんな人たちではないでしょうか。

ロゴマークの音叉のデザインが好きだったり、世界初のカーボンヘッドのドライバーを開発したことを凄いと思う人たち。

そんな思いを持った、通好みのメーカーがヤマハゴルフかもしれませんね。