杉原輝雄!人生に役立つ小さな巨人が放った珠玉の名言の数々

最終更新日:2017/10/09

杉原輝雄(すぎはらてるお)(1937~2011)は身長わずか162㎝のプロゴルファーでした。

それほどの小柄でありながらも、第一線で活躍し続けたのです。
生涯現役を公言し、がんになった後もゴルフへの情熱は衰えることはありませんでした。そしてゴルフの実績もさることながら、真摯な態度は多くの後輩やゴルフファンの心を掴んだのです。

そんな杉原輝雄は数々の名言を残しています。
関西弁でやんわりと、しかし、ぐさっと刺さる名言集の中から、選りすぐった5つを紹介します。

杉原輝雄というプロゴルファーの生涯

杉原輝雄の名言は、プロゴルファーとして真摯に生きる中から自然ににじみ出てきたものです。
何か言ってやろうと思って出てきたものではなく、経験から得られたものが溢れ出ずにはいられなかった、そういう言葉たちです。

ただ、それを語る前には彼のゴルフ生涯を語らなければいけません。

杉原輝雄は1937年6月14日大阪府茨木市に生まれました。
162㎝60㎏。
スポーツなどやらない男子と並んでも、とても小柄な体でありながら、現役生活50年を全うしました。
永久シード権を獲得し、「日本プロゴルフ界のドン」「まむし」と呼ばれた男です。

杉原輝雄は小学5年生の頃から、大阪の名門クラブの茨木カンツリークラブで、キャディのアルバイトを始めます。

中学を卒業し、定時制の高校に通いながら、同クラブの洗濯係として就職しました。
18歳で研修生になり、20歳でプロテストに合格しています。
そしてプロになって5年後に、日本オープンゴルフ選手権で初優勝を果たしました。

小柄な故、飛ばすことができないプロということを自認していた杉原輝雄は、誰よりも練習をし、飛距離に代わる技術を身につけていきました。

徐々にドライバーのシャフトを伸ばしたり、誰よりも早くツーピースボールを取り入れるなど、アイディアでハンディを克服する努力を重ねました。

通称AON、青木功、尾崎将司、中嶋常幸の3人が活躍する時代に対峙し、レギュラーツアーで54勝、シニアに移行してからも8勝を上げています。

杉原輝雄を語るには生涯成績だけでなく、奥行きのある人格を語らなければいけません。
ゴルフに打ち込む真摯な態度は多くの人のこころを捉えました。
ゴルフの成績以上のものを、彼の姿勢を見る後輩たちへ残したのです。

1997年60歳のときに前立腺がんが発覚しましたが、ゴルフが続けられないという理由で手術は拒否し、投薬治療を選択しています。

2011年12月20日、スポーツ功労者文部科学大臣顕彰を受けた8日後の12月28日に、多くの人に惜しまれながらこの世を去りました。

本当の我慢を表す杉原輝雄の名言

勝負師の杉原輝雄は我慢師でもありました。

以下のような名言があります。
「苦しいときに我慢するのは普通の我慢、本当の我慢はここがチャンスだという時に心を逸らせない我慢である」

苦しいときは我慢するより仕方がないとも言えます。

人はここがチャンス!イケイケのときに心が逸るのです。
焦りや、浮わついた気持ち、そして奢りによって自滅していくことが多いものです。

そこをこらえるほうが苦しい時の我慢よりよっぽど難しい、それが本当の我慢だということを杉原輝雄は言っているのです。

あと少しで優勝だというようなとき、意識するなといっても無理があります。
相手のミスでこちらが有利になりそうなとき、「よし!ここがチャンスだ!」と意気込みすぎて自分まで相手と同じようなミスをしてしまうこともあります。
そこを抑えられるかどうか、いかに自分自身にのみ集中できるかということです。

この言葉は試合中のことだけにあてはまるわけではないですね。
自分が調子がいいとき、波に乗って好調を維持しているとき、いかに逸る気持ちを抑えて日々の練習を続けられるかが肝心です。

これはゴルフだけではなくあらゆるスポーツをする人間にとっても生きる言葉です。
そして私たちが生きる上で誰にでも応用できる言葉なのです。

プロの本質を表した杉原輝雄の名言

ジャンボ尾崎の存在でプロゴルフ界は盛隆を迎えました。
毎週のようにトーナメントが開催され、テレビコマーシャルにプロゴルファーが出演するようにもなりました。
小さな子どもたちまでプロゴルファーの存在を知ることとなった時代に杉原輝雄は活躍しました。

今のスポーツ選手たちのように、マスコミでインタビューを受けるための対策など、まだ知る由もない時代でした。
当時は選手とファン、選手とマスコミとの関係も確立されていませんでした。
今のようにSNSなどない時代です。
自分の言動への意識もないスポーツ選手も多かったのです。
マスコミ嫌い、ギャラリーを疎ましく思う選手も少なからずいたようです。

しかし杉原輝雄と関西から出て杉原輝雄に続く「杉原一家」は、ファンあってのプロ、
スポンサーあっての自分、メディアのおかげで有名にもなれた、という意識を持ち続けました。
ですから「ファンにサインを求められれば、するのは当たり前のこと」だと拒みませんでした。
実力があるから有名になったのではなく、有名にさせてもらったという気持ちを常に持ち続けていたのです。

それから連続出場記録に関しても、「何を言おうが試合がなければ連続出場はない、大事なことは試合があるということ」と、スポンサーへの感謝の気持ちを忘れませんでした。どちらもプロの在り方を示した名言ですね。

近年、マスコミの有名人のプライバシーへの関与は、目に余るところがあります。
そんなとき、有名になったのではなく有名にさせてもらったという意識が土台にあるのとないのとでは、いざというときの身の施し方や心の整理の仕方が違うのではないでしょうか?

欲を常に満たそうとした杉原輝雄の名言

杉原輝雄というプロゴルファーは勝負師でした。
と同時に創意工夫をしながら努力、努力の人でもあったのです。

その努力を支えたのは夢と欲だといっていいでしょう。

「夢」と聞くと希望に満ちたものをイメージするかもしれません。
人によっては、「夢」は、はかなくもろいものというイメージかもしれませんが。

片や「欲」という言葉には「欲深い」「強欲」「貪欲」など、私たちはとかく悪いイメージを持ちがちです。

でもちょっと考えてみてください。
欲のない夢や、夢のない欲のことを。

欲のない夢というのは、そこへ行きたいとも思わず、綺麗なお花をこの手で摘んでみようとも思わず、お花畑で走り回っている様子を夢見心地にただ想い描いているだけといってもいいですね。
まるでリラックスするときのイメージ作りのようです。

そして、ただ食べること寝ることだけを考えている姿の代表が、夢のない欲です。

欲は必要なものです。
エンジンのようなものでもありますね。
欲と自分が一体になってしまってはどうしようもありません。
欲を原動力に努力ができるのです。

そして、夢がない欲は動物的とも言えます。
夢があるからこそ、欲を満たそうと知恵も働かせ、努力ができるのです。

「人間、夢と欲があるから努力するのとちゃうか」という名言からこういったことが読み取れます。

最後まで諦めない杉原輝雄の名言

「一生懸命にならな損、諦めたらあかん」

一生懸命やったら損をしたような気になる人がいます。
楽をして生きるのが得だと思っているのでしょう。

でも一生懸命できるものがあるという人はとても幸せです。
もし何かちょっとでもやってみたい、続けてみたいというものが目の前に現れたら一生懸命にならなければ損なのです。
一生懸命やれ、と言われているのではなく、一生懸命やらないと損をするのだとこの名言を通して知りましょう。

杉原輝雄は162㎝という小柄のため、若いときには飛距離が220ヤードしかありませんでした。
小さな体というハンデをどうしたら克服できるだろうかと考えに考え抜いて、さまざまな工夫を凝らしていきます。
そして誰よりも練習を積みました。
すべては自分のため、人のためではない、だからこそ一生懸命にならなければ損だというのです。

ゴルフはボールが林に入ってもそこが正念場、そこからどうなるか分からない。
だからあきらめるなという哲学なのです。

杉原輝雄の名言には本当に心動かされる

「一度気を抜いたゴルフをすると、それが癖となって、いざという時に悪さをしてしまうんや」

人の行動の前には「姿勢」があります。
杉原輝雄のゴルフに対する姿勢は自身が一歩一歩ゴルフ道を歩みながら発見して培われたものです。

スコアが落ちてきて下位になると、「ここからがんばっても」、という気持ちが出てくるのが私たち人間です。
「どうせ上位には上がれないから適当でいいだろう」という思いから、気の抜けたプレーになります。

杉原輝雄はそれをとても嫌がったと言います。
一度でもそういうことをすると必ず癖になるというのです。
そしてここぞという時、いざという時に、その悪い癖が出ると言っています。

何も最初から、そういう考えが身についたのではないようです。
当時の強豪グラハム・マシューと下位で一緒にラウンドしたときから、そう思うようになったのです。

ある試合で、マシューは下位にもかかわらず、最終ホールで真剣だったと言います。
グリーンを読んで見事入れました。

そのとき杉原輝雄は「そんなもん、入れたって順位はかわらん、早ようせい!」と思いながら見ていたそうです。

翌週マシューが優勝したのを見た杉原は、最終ホールのパットを思い出し、「あれが効いたのだとしか思えなかった」と後に語っています。

気を抜いたゴルフを一度でもすると、そのときはどうってことなくても、自分が一番大切な時に出てきて悪さをするという意味はそこにあります。

よく、罰が当たるという表現をしますが、罰は神様が私たちに当てるのではなく、私たち自身が行ったことが癖になって、いざという時、悪さをしているのではないでしょうか?
そういうことに気付かされる杉原輝雄の名言です。

杉原輝雄のゴルフ道から溢れ出た言葉の数々

ゴルフが好きで好きでたまらなかった杉原輝雄でした。

工夫すること努力することを通して自身を磨きあげ、後輩に背中で語れる唯一のゴルファーでもありました。

珠玉の言葉はアスリートだけでなく一般社会に生きる私たちの心をも揺さぶるものです。