宮里藍と横峯さくらは同学年で、ジュニア時代はお互いが切磋琢磨して活躍していました。
先にプロの世界に入った藍ちゃん、孤軍奮闘で女子プロゴルフ界を盛り上げてきたさくらちゃん。
そんな仲の良い2人を結ぶ不思議な縁について紹介します。
宮里藍と横峯さくらが「ちゃん」と呼ばれる仲だった頃
長く女子プロ界を牽引してきた宮里藍選手と横峯さくら選手、2人の活躍が多くのファンを引き寄せて今の隆盛期があるといっても過言ではないと思います。
どちらもジュニアゴルフ出身で、小さな頃から地元では「天才」と呼ばれるほどゴルフが上手かったようです。
同じ学年だったこともあり、ジュニアの大会では顔を合わせていたようです。
藍ちゃんは沖縄、さくらちゃんは九州ということで、エリアが近いこともあり、すでに10歳頃にはお互いを知っている仲でした。
藍ちゃんのお父さんはプロゴルファーで、沖縄でレッスンプロとして活躍していました。そんな恵まれた環境もあって、小学生2年生で「一生に一度」の偉業と言われるホールインワンを達成したそうですから、非凡な才能があったのでしょう。
一方で、さくらちゃんのお父さんはと言うと、マスコミの露出度も高くまた国会議員としても活躍していたので、すでに周知のことだとは思いますが、ゴルフ好きのお父さんの影響でゴルフを始めます。
さくらちゃんは小学2年生頃からゴルフを始めて、4年生のときには全国大会で優勝するほど上達し、このとき2位だったのが藍ちゃんだったのです。
宮里藍の厳しい対応に旧知の仲の横峯さくらが登場!
宮里藍選手も横峯さくら選手も全国的に注目される選手として成長していきますが、世間的にはまだまだ上手なジュニア選手としての扱いだったわけです。
ところが女子プロ開幕戦となるダイキンオープンの少し前に行われた第4回ダイキンオーキッドアマチュアゴルフ選手権で、中学2年で出場した宮里藍選手が優勝を果たします。
そしてその勢いのまま、同年の第13回ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントに出場し、一気に知名度が上がりました。
高校進学した宮里選手は全国アマなどを総なめにして、またプロツアーでもたびたび優勝争いに絡む大活躍します。
そして高校生活最後の年、アマチュアによるプロツアー優勝を果たすのです。
その後はすぐにプロ宣言し、「女子高生プロゴルファー」としての道を進むことになります。
順風満帆に思えた宮里藍選手でしたが、プロの世界では常に孤独との戦いだったようです。
報道が過熱することで、プロの先輩からの厳しいバッシングなど受けて、練習ラウンドで一緒に回る選手がいなくなる事態となっていきます。
また報道陣からは「これからのスターを潰す」ようなプロ界のあり方を疑問視する声が高まります。
「宮里藍選手のロッカーに入っていた傘が切り裂かれていた」といったネガティブなニュースも散見するようになり、人気とは裏腹に周囲との距離は離れるばかりだったようです。
そんな孤独な状態を助けてくれたのが、旧知の仲だった横峯さくら選手だったわけです。
心強く思える仲の横峯さくらを見て宮里藍が涙した時
横峯さくら選手は20歳の時にプロ登録しましたが、それまでにもアマチュア選手として輝かしい戦績を収めてきました。
プロテストでは第2位での合格だったために、限られた試合しか出場権を得ることができませんでしたが、その出場した少ない試合だけで見事な成績を収めて賞金を稼ぎ、なんとデビューの年にシード権を勝ち取った期待の選手となりました。
なによりも注目を集めたのは父娘のコンビとしてです。
父がキャディバッグを担ぎ、娘はプロ選手として活躍。
ところがコース内では言い争う姿がたびたび放映され、父のことを聞かれ「うざい」とコメントを出すほど、現代風の親子関係に周囲もやさしい目で見守っていたようです。
そんな横峯さくら選手がプロデビューしたとき、多くのファンが祝福したのは当然のことです。
また藍ちゃんとさくらちゃんの対決を期待して、女子ゴルフ界はスポンサー企業があふれるほどの賑わいとなります。
そのデビュー戦のとき、コースで2人の選手は顔を合わせます。
2年早くプロとしてスタートを切った宮里藍選手のコメントに注目が集まる中、横峯さくら選手の姿を見て、突然泣き出してしまいました。
それまでも多くの対戦をしていた仲ではありましたが、好敵手の姿を見て泣き出した藍ちゃんの姿に、誰もが「孤独でプレッシャーがあったのだろう」と感じたようです。
仲の良い宮里藍と横峯さくらが築く新しい時代
宮里藍と横峯さくら、2人のヒロインが出現したことで、女子プロゴルフ界は大きく変わることになります。
圧倒的な人気を背景に、ツアー会場は満員でスポンサー希望社が多くなり、縮小傾向だった試合数は格段に増えることになります。
またテレビ中継も、それまでのコアなゴルフファンだけではなく、小さな子供からお年寄りまで、普段はクラブも握ったことのない人たちまでがテレビ応援をすることになり、視聴率は10%以上と、まさにスター的な存在となっていきます。
お互いは練習ラウンドをする仲でしたが、年齢の近いプロたちとの交流も深まり、藍ちゃんのゴルフ界での環境も徐々に改善されてきたようでした。
ただ横峯さくら選手がプロとして参戦してきたときには、すでにプレーする舞台を世界に置いていたので、宮里藍選手の照準はメジャーへと移行していきます。
当時国内では向かうところ敵なしだった不動裕理選手の好敵手として、2人の若きプロが立ち向かっていましたが、藍ちゃんは22歳の時に米国LPGA(女子プロゴルフ協会)に本格参戦することになります。
宮里藍は米国参戦で逆境からの大逆転劇で大成功
米国LPGAのツアー資格を得るための試合で、2位に12打差もつけてぶっちぎり優勝を果たした宮里藍選手は、まさに順風満帆でメジャーの切符を手にします。
ところが米国ツアー参戦2年目になると、極度の不振に陥ります。
藍ちゃんの良さである正確なショットができなくなり、それがパターにまで影響して予選落ちを繰り返すことになります。
応援している観客が「見ていられない」というほどのスランプになり、遂にはドライバーがわずか180ヤードというほど悲惨な状況になったのです。
振りかえると周囲の米国選手の飛距離との違いは歴然としたもので、いわゆる女子プロ用のセッティングがない米国コースでは苦戦していたようです。
その精神的なプレッシャーから不調に陥ったことで、本人も精神科医のもとに通いメンタルトレーニングを行うようになります。
当時スポーツ界では多くの選手がメンタルトレーナーと契約していたこともあり、良い巡り合わせができたのでしょう。
劇的に復活し、その後世界ランクNO.1の座にまで上り詰めていきます。
そんな中、日本では信頼関係の厚い仲であった横峯さくら選手が米国ツアーに参戦してきます。
横峯さくらを襲ったメンタルの壁!仲の良い宮里藍の影が
米国ツアーで活躍する宮里藍選手の後を追って、多くの女子プロたちが米国参戦を開始し、徐々に国内選手よりも韓国選手が主役となる日本女子プロツアーの中で、まさに孤軍奮闘していたのが横峯さくら選手でした。
自身の戦績からしても、また宮里藍選手と比べると飛距離でも勝る横峯さくら選手ですから、いつ米国参戦してもおかしくない状況でした。
周囲の期待もある中、黙々と国内ツアーで活躍しついに国内賞金女王に輝きます。
そんな彼女のゴルフ人生も順風満帆と思われていましたが、2012年突然のスランプとなり、まさかのシーズン未勝利へと転落していきます。
このスランプの原因には諸説あり真贋は明らかになっていませんが、父親である「さくらパパ」の恐喝未遂や政党交付金の不正受給、妻以外の女性との関係などが公になったことではないかと言われています。
しかもその舞台となっていたのが「さくらゴルフアカデミー」であったり、横峯さくら選手が賞品として受け取った車を高額で借り受けているといったこともあって、父親の勝手な行動に振り回されて、精神的に追い込まれたのではないかとも言われています。
そうして彼女もまたメンタルトレーナーのもとに通うことになります。
2012年のさくら選手が不調のどん底で頼った相手が、現在のパートナーであるご主人だそうです。
そのメンタル効果はてき面で、翌2013年は4勝を挙げて国内ランキング2位に返り咲き、その後は念願の米国参戦も果たすことができるようになります。
戦場は離れていましたが、お互いがもっとも信頼できる相手だった2人、きっとメンタルトレーニングのアドバイスや、米国ツアーの戦い方などもアドバイスしたのではないかと思います。
横峯さくら選手が宮里藍選手の引退に対するはなむけとして、「お互い、お婆ちゃんになっても思い出話をする仲でありたい」とコメントを出していて、常に心で繋がっている仲なのだろうと思います。
宮里藍と横峯さくらは信頼できる仲であり続ける
まさに時代を築いた偉大な選手、宮里藍と横峯さくらは親友を超える信頼できる仲だったのでしょう。
困った時に手を差し伸べることはあっても、常に自分の選択肢としてアドバイスを受け入れる仲ではないかと思います。
いつの日か、宮里藍さんの解説で横峯さくらプロが優勝を決める一戦を観てみたいものです。