数か月前に笑顔、そして涙の引退会見をした宮里藍。
彼女のゴルフ界でのプロとしての活躍は高校生時代から始まりました。
女子ゴルフの人気を高めてくれた最重要人物と言っても過言ではありません。
そんな彼女の生涯獲得賞金やツアーでの勝利数などプロゴルフ人生での大きな活躍についてお話ししていきます。
宮里藍プロのプロフィール
どんな女の子が生涯獲得賞金をこんなにも稼いだのかを知るためにも、まずは宮里藍プロのプロフィールを紹介します。
沖縄で生まれた1人の女の子が日本だけでなく、世界を驚かせるプロゴルファーになりました。
1985年6月19日に沖縄県国頭郡東村で生まれました。
「藍」とは辞書で最初の方に出てくる名前なので、トップが取れるようにと父親が名づけました。
現在そんな彼女も31歳の大人の女性です。
2人の兄がゴルフを習い始めていたこともあり、彼女もわずか3歳でクラブを握りました。ですからゴルフ歴は、なんと28年です。
人生で1度起きるかどうかと言われている確率のホールインワンを9歳で達成しました。
この頃からすでに世界で活躍するゴルファーの資質を持っていたのでしょう。
中学卒業とともに生まれ育った沖縄を出て、ゴルフの名門が集う東北宮城へと旅立ちました。
そして様々なアスリートを輩出している東北高校へと入学するのです。
そこで確実に実力を高め、2003年高校3年時にアマチュアゴルファーとしてミヤギテレビダンロップ杯で初優勝を飾りました。
その時の優勝インタビューで「アニキ、やったぜ!」と言い、ゴルフファンの心を鷲掴みにしました。
宮里藍プロの生涯獲得賞金
宮里藍プロの国内での生涯獲得賞金額は、4億1734万2622円です。
そしてUSALPGAでの生涯獲得金額は、8億9742万3846円です。
合わせて13億1476万6468円になります。
す…す…すごいですよね。
これは純粋なゴルフトーナメントでの賞金獲得の金額なので。これにスポンサー契約やCM出演料などを加えたら稼いだ額は相当なものになるでしょう。
それでも国内での生涯獲得金額では43位、USALPGAでの生涯獲得金額では21位なのです。
ちなみに1位の人たちがどれだけ稼いでいるのかと言うと、国内1位の不動裕理プロが13億4990万4431円、USALPGA1位のアニカ・ソレンスタムプロが24億8057万549円です。
不動裕理プロは国内だけでの活躍だったので、結果USALPGAと合わせれば宮里藍プロも変わらない生涯獲得賞金になります。
アニカ・ソレンスタムは世界を驚かせたプレーヤーなので敵わないのは納得です。
もちろん宮里藍プロは、他にも欧州ツアーなどほかのツアーにも出場しているので、合算したら生涯獲得賞金はまだ増えるでしょう。
あの若さでここまで稼いでいるのはかなりの驚きです。
宮里藍の生涯獲得賞金の各年度の配分
生涯獲得賞金はすごい金額ですが、もちろんプロゴルファーには波があります。
長年にわたりランキング1位に君臨していたのは、タイガー・ウッズとアニカ・ソレンスタムくらいではないでしょうか。
活躍した年にどれほど稼いだか、また不調であってもどれくらい安定を見せたかで生涯獲得賞金は変わってきます。
宮里藍が日本で大きな活躍を見せた2004年が獲得賞金が1億2297万2349円で2位、2005年の獲得賞金が1億1437万7871円で同じ2位でした。
2005年の途中からUSALPGAへ活躍の場を移したので、そこからは日本での獲得賞金は億単位になることはありませんでした。
活躍の舞台をアメリカに変えたものの飛距離やパワーの差に悩み思うような結果が出せずにいましたが、2009年にエビアン・マスターズで初優勝を飾り、その年の賞金獲得が1億6500万円で3位になりました。
彼女はアメリカをメインに活動していましたが、オフの週や、メインスポンサーの大会がある場合は日本のツアーにも参戦していたので、アメリカと合わせて日本での獲得賞金もずっとあります。
多額の生涯獲得賞金を得た宮里藍の勝利数(国内)
これだけ多額の生涯獲得賞金を得た宮里藍プロの勝利数とはいったいどのくらいなのでしょうか。
国内では生涯獲得賞金ランキングが43位ですが、国内のトーナメントをメインに出場していたのはわずか2年程度です。
では、彼女が優勝したトーナメント数を紹介していきます。
2003年 ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント(優勝時まだアマチュアだったため賞金は貰っていませんが、これを機にプロへ転向しました)
2004年 ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント
2004年 サントリーレディスオープンゴルフトーナメント
2004年 アピタ・サークルK・サンクスレディス
2004年 マスターズGCレディース
2004年 大王製紙エリエールレディスオープン
2005年 ヴァーナルレディース
2005年 中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン
2005年 新キャタピラー三菱レディース
2005年 日本女子オープンゴルフ選手権競技
2005年 樋口久子IDC大塚家具レディス
2005年 大王製紙エリエールレディスオープン
2006年 日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯
2006年 ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
2009年 SANKYOレディースオープン
と15勝を挙げています。
多額の生涯獲得賞金を得た宮里藍の勝利数(海外)
世界での生涯獲得賞金ランキング21位とは宮里藍プロは日本の誇りですよね。
アメリカは日本ツアーと違い、優勝賞金の額も大きいので、生涯獲得賞金額が日本の倍ですが、勝利数は日本ツアーよりも少ないです。
2009年 エビアン・マスターズ
2010年 ホンダLPGAタイランド
2010年 HSBC女子チャンピオンズ
2010年 トレスマリアス選手権
2010年 ショップライトLPGAクラシック
2010年 セーフウェー・クラシック
2011年 エビアン・マスターズ
2012年 LPGAロッテ選手権
2012年 ウォルマートNWアーカンソー選手権
と9勝を挙げています。
もちろん日本で戦った年数や回数よりもアメリカツアーで戦った年数や回数の方が多いと言うのもありますが、日本ツアーよりも6回も優勝回数が少ないのにも関わらず生涯獲得賞金が倍以上とは、やはりアメリカツアーはすごいですね。
そして彼女はアメリカツアーでは、2009年、2010年、2011年、2012年と4回も賞金ランキングトップ10に入っています。
ちなみに日本ツアーでのトップ10入りはアメリカへ行く前の2年間の2回です。
そんな彼女も今シーズンで引退
世界中に注目された宮里藍選手も今シーズンで引退し、生涯獲得賞金にピリオドを打ちます。
報道や会見を見て、『まだ31歳なのに!?』と思った方も多いのではないでしょうか。
しかし約15年間も計り知れないプレッシャーに押しつぶされそうになりながらがんばったのです。
そろそろゆっくりしても良いのかもしれません。
彼女は2度のイップスにも苦しみ、克服し、がんばってきました。
引退を発表した後の彼女のプレーする際の顔は、どこかすがすがしく感じるようにも思えます。
日本では引退を悲しむ声が多かったようですが、アメリカでは真逆で次の門出を祝ってくれたようです。
もう少し頑張ってほしい、ファンとしてはそう思ってしまいますが、彼女が日本、もしくはアメリカで次はどのような活躍をするのかぜひ見守りたいところです。
キャリアの終止符は、新しい人生のスタートというのがアメリカの文化です。
第一線を退いた後の彼女の未来に大いに期待しましょう。
松山英樹のメンタルトレーナーの可能性もまだゼロではありませんからね。
活躍の裏には相当な努力が隠れている
いつも笑顔で勇敢に立ち向かう姿が印象的な宮里藍選手。
父や2人の兄と想像をはるかに超える練習をしたことと思います。
また父親が生み出した独自の練習方法を一時期話題になりました。
ゴルフは練習あるのみですし、練習しただけとも言われています。
彼女を見習って地道に練習し、ゴルフ上達に励みましょう!